いつも、何かをさがしてた。

高知に住んでるおばあさんの日記

結婚が転機、転機が結婚だった。

結婚が転機、転機が結婚だった。

 

いままでの日常にちょっとづつ違和感をかんじるようになった

38歳のときに、

 

そうだ、結婚しよう!と思った。

 

 

結婚相談所の宣伝ハガキが文庫本に挟まれていた、そんな時代だった。

自分の年齢、最終学歴、結婚経験の有無、身長、体重などと、

相手に希望する条件に丸を付けるというものだ。

 

希望する身長も学歴も年収も最低ラインに丸を付けて送った。

 

結果的には結婚相談所に1月に入会して5月に出会い、9月に結婚式をした。

 

名古屋生まれの名古屋育ちが、

高知県専業農家の長男と結婚して現在に至っているわけで、

私にとって転機は結婚、結婚が転機だったと言える。

 

 

結婚相談所から電話が来たので、駅前にある大きなビルのなかにある事務所に出向いて20万円払って入会手続きをした。

 

すぐに会報誌のような小冊子が送られてきた。

そこには、

A子、未婚、38歳、名古屋市在住、無職、相手の希望:特になし(離婚歴があっても子供がいても良し)

 

B男、36歳、結婚歴1回(生き別れ)、子供2人(女11歳、男9歳)、農業、両親同居

 

というように、何十人分の簡単な紹介文が記載されていた。

 

その中から、お付き合いしたい人を選んで結婚相談所あてに郵便を送ると、

結婚相談所経由で相手方に届き、こちらの本名と住所などを相手に知らせて、

相手がよければ返事が直接くる、というシステムになっていたと思う。

 

しばらくすると、ドッサ、ドッサという感じにマンションの郵便受けに手紙が届いた。

実名での自己紹介と本人の写真が自筆の手紙とともに同封されていた。

 

それと平行して「お見合いパーティー」がホテルなどでも開催された。

お見合いパーティーに参加したときに女の人と友達になった。

 

静岡県在住、未婚、40歳、新聞記者、なんてどう?」と意見交換したりした。

お見合いパーティーで出会った男の人も女の人もマジメな人が多いように思った。

それでも、お付き合いに至るまではいかなかった。

 

そもそも、どんな結婚生活がしたいのか、結婚に何を望んでいるのか、

結婚って、どんなものなのか、が皆目わからなくなった。

 

じゃ、なんで突然結婚したくなったのか、

 

① 高校を卒業したとき世の中は輝いていた。

② 東京の文化服装学院へ行きたかったが無理だった。

③ 名古屋モード学院へ通いながらアルバイトをした

④ 高度成長期の始まりで仕事ならいくらでもあった

⑤ アルバイトの時給が倍々ゲームで増えていた

⑥ 毎日が面白く楽しく過ぎて行った

⑦ 友人は結婚していったが、結婚に興味がなかった

  ⇒両親の結婚生活が悲惨に見えた、周りに幸せそうな夫婦もいないと思った

⑧ 30歳になって飲食店(居酒屋)をもった

⑨ しばらくはお店の経営に夢中になった

⑩ 37歳のときにお店をやめてふと気が付くと小銭以外何もなかった

⑪ 鳥をみて、生き物はつがいでいる、私もつがいが欲しかった

⑫ 結婚相談所に入会した 

 

相手にのぞむこと・・・健康で仕事してて、ヘンな癖がなければいいかなと、

条件とか・・・普通でいい

 

人間はどこかに所属して生きていく生き物だから、どこかに所属したかった。

そこで、一生懸命に生きる、みたいな、

愛とか恋というのはそういう生活の中から育てていくものかと、

恋愛のことよくわかっていない

付き合った人がいない、ひとりで十分楽しかったから、

むしろ、誰にも邪魔されたくない、という生き方だった。

 

毎日ドッサ、ドッサ、と郵便物が届くのだけど、全部断った。

だって、どんな結婚がしたいのかぜんぜんわからないんだもの。

      

そんなときに、お見合いパーティーで出会った女の人と話をしてて、

「全部断るんじゃなくて、一人でも二人でも会ってみたら?」

とアドバイスされた。

 

その日、結婚相談所経由の郵便物を丁寧にみていると、

高知県の農家、というのがあった。

 

高知県だったら遠いからすぐに会わなくてもいいし、と思って

「文通からはじめましょう」と返事を出した。

そしたら、すぐに電話がかかってきて、

「名古屋へ行きます」と言うではないか

 

新幹線出口のところで待ち合わせをして

駅ビルの喫茶店で話をした

「毎日トラクターに乗って畑とか田圃の仕事をしている」

「弁当はしゃもじでご飯をギュっと押してお母に詰めてもらう」

「ストレスってなんでぇ、おらストレス知らん」

というような話をした。

 

素朴なひとだなぁ・・・と思った。

 

こんどは私が高知県へ行った。

その頃はまだ瀬戸大橋が開通するまえで

大阪南港からフェリーに乗って一晩かけて高知港へついた。

 

高知県の空の色が透明でかがやいている、

木々の緑が何色にも美しく競演して、

どこからでも360度山が見える

そして、川河、太平洋、まぶしすぎる太陽、

国道をちょっと入ると砂利道の道

仁淀川を走るガードレールのない道路

 

こんな景色みたことないぐらいに美しい

 

かったんです。

 

ここがいい、と思いました。

それからは、とんとん拍子に事が運んで、

5月にはじめて出会って、9月には結婚式しました。

 

それからいままで、別れるなんて考えたこともなく、

ここが私の地球だ、ここで困難を乗り越えて生きていくのだ

と思って、がんばってやってきました。

 

そして、最近やっとふりかえることができるようになったのだけど、

 

人生は川の流れのように流れていて、

変化がないように思えるのだけど、

じつは少しずつ変化していて、

 

その少しずつの変化が大きく展開するときが10年ぐらいの周期で必ずきて、

新しい展開を迎えた時には、

今までのやり方では通用しなくて、

 

なによりも勇気をもって、大胆に新しいステージに飛び込む覚悟が必要で、

そこでいい方向に向かうように努力するしかないのかなと思います。

 

その当時には転機だという自覚はなかったけれど、

転機に大胆に飛び込んだのだと、今振り返って思います。

 

その結果がどうであれ、

転機を勇気をもって乗り越えることこそが人生なんだな

 

と思う今日この頃です、

これが私の人生です。