いつも、何かをさがしてた。

高知に住んでるおばあさんの日記

【君の名は】昭和28年松竹大船 岸恵子・佐田啓二主演

「君の名は」といえば60年前の日本映画ですが、「真知子巻き」とか

「女湯ががら空き」なんて逸話はいまでも覚えている人がいるとかいないとか、

メロドラマ大好きな~あんかけ(@guam345)でーす。

60年まえにも「君の名は」って映画があって、その映画が当時の日本のおば様がたをどれだけ元気にしたっかって、ことを記録しときます。

「君の名は」

制作・山口松三郎

原作・菊田一夫

監督・大庭秀雄

脚本・柳井隆雄

撮影・斎藤 毅

音楽・古関裕而

美術・熊谷正雄

出演・岸恵子・佐田啓二・川喜多雄二・淡島千景・北原三枝・月丘夢二・小林トシ子・野添ひとみ・淡路恵子・笠智衆・市川春代・望月優子

かいせつ

伝説を生んだメロドラマ、韓流ドラマの原点もここにある。1952年からNHKラジオ(この当時はテレビはまだない時代)で放送された菊田一夫原作のメロドラマの代表作。放送が始まると女湯(この当時はうち風呂というのはなくて、銭湯に週1,2回通っていた)が空になるといわれたほど大ヒットした。

後に映画は3部作としてつくられた。

 東京大空襲の元数寄屋橋で出会った男女が互いに名も明かさず、半年後の再開を約束してわかれたが、様様な障害のためになかなか出会うことができず、女は心ならずもほかの男と結婚してしまう。やがてその結婚は破局を迎えるが・・・。

舞台は日本全国に広がり、主題歌とともに岸恵子が首に巻いた長いストールが”真知子巻き”として流行した。主人公の名を冠したキャラクター・グッズもいろいろ売り出された。

あらすじ

東京大空襲の中で偶然知り合い、一緒に逃げ回って助かった春樹と真知子というカップルが、同じ場所での再会を約束して別れる。

そして、1年半後、二人は約束した数寄屋橋で再開するが、そのときにはもう、真知子はほかの男と婚約してしまっていた。二人は別れるが、互いに相手を思う心は募るばかりだった。真知子は姑とも夫ともうまくいかず、嫁いだ家を出るが、夫は離婚を承知しない。春樹と真知子は出会っては別れ、また出会っては別れざるを得ない状況になった。でもあr

なぜかその出会う場所は、佐渡の○○湾、北海道の美幌峠と摩周湖、そして九州の雲仙などなどの名勝地ばかりである。

典型的な通俗メロドラマであり、臆面もなく感情を売り物にしているが、それにしては一種の品の良さがあり、決して俗悪ではない。そこが2流の映画と1流の映画のちがいであるところだが、主人公の二人の正統派美男美女というだけではない、スタッフの技術が評価されるところである。

例えば、数寄屋橋の再開の場面。

春樹がまず、夜霧の数寄屋橋の欄干のそばでたたずんでいる。彼がいったん、画面の左を振り向き、さらに右手を振り返って、あっと表情が明るくなると、その見た目の向こうから静かに微笑みを浮かべてやってくる彼女のロングショットになる。この前のショットで彼の首が左右に振られるのと、つぎのショットで彼女が現れる。その切り替えが見事な動きとタイミングだと思う。

 二人は空襲の中で偶然知り合って再会を約束したのだが、それまでは見知らぬ他人であり、お互いにそうあてになる約束だと思っていたわけではない。だから、来ないかもしれないと思うのが自然で、その不安が、彼が左右を見渡す動作によく出ている。と同時に期待をこめてもう一方をみたとき、そこに彼女が現れるというのが、一種の音楽的うねりを感じさせて、とてもいい感じなのだ。

ここで再会した二人は、しかし、ひしと抱き合うのではなく、じっと見つめあっては視線をそらし、うつむいたり、横向きになったり、また顔をあげて見つめあったり、そしてまた後ろ向きになったりと、ほとんど一言いうたびに姿勢を変えながら話し合う。これは北海道での別れの場面でも同じことである。求めあう力と、いますぐ互いに胸の中に飛び込むわけにはゆかないという引き離す力とがこもごも作用して、二人は向き合ったり横向きになったりうつむいたり、姿勢がたえず変化する。

それを大庭英雄監督は、まるで日本舞踊のように優雅に振りをつけ、一瞬一瞬、見事な型にきめている。そこに古関裕而のハモンド・オルガンが悲しいメロディを響かせる。メロドラマはこうこなくっちゃー。

               (佐藤忠男著 日本映画300 朝日文庫より)

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60年前の日本には携帯電話も電話もテレビもなかったので、ラブロマンスが燃え上がったのでしょうか。今はラブロマンスが足りない時代かもしれない。

便利だから、すぐ連絡とれるからすぐに決着がつく、短期で決着がついたら残った時間で次の案件にいって、数こなしているのだろうか?そうすると、ラブロマンスは数の問題になるのかな。

西洋映画に「ローマの休日」というラブロマンスの最高峰があるのだけど、これも身分の差というのがあった、今の時代、身分の差ってあるのかな、やっぱり、ラブロマンスにはなにか弊害がないと燃え上がらないので、自分で弊害と作ってもえあがらなければいけない。

自分に、これだめ、っていう弊害をひとつ作ってラブロマンスをしよう。

とひとにはすすめておく、ラブロマンスはみるだけでいい・・・!!

東京大あs空襲の中で偶然知り合い、一緒わって助かった